ボルシチの起源と調理法 第T章 はじめに

 

 ボルシチの起源と調理法について考察した拙論です。2部構成のうち、前半の「起源」に当たります。

拙論の完全なかたち(すべての画像付き)は、PDF文書のみで提供します。

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 〈目次〉
 第T章 はじめに
 第U章 ボルシチの語源を巡って
 第V章 ボルシチの基本食材ビート
 第W章 古代ローマ起源説について
 第X章 ボルシチの出現
 第Y章 ボルシチのレシピ(ロシア帝国時代)
 第Z章 ボルシチのレシピ(旧ソ連〜現代)
 *** 初出一覧

◇ 第T章 はじめに 〔HTML文書2025.6.1改訂版〕

次に掲げるHTML文書は、PDF文書とほぼ同じ内容です。ただしPDF文書のページ番号(1−129)、「ビートの系統図」以外のすべての画像(図・写真など)、およびロシア語テキストのアクセント記号が省略されています。またブラウザの種類によっては、一部の記号・ルビ・特殊文字などが正しく表示されない場合があります。

このページには、第T章「はじめに」を掲載します。第U〜Z章までは、それぞれ別のページに移動してください。

 

宮 崎 武 俊

 

凡例1 拙論の本文と註では、ロシア文字表記の食物、その関連語、および引用文には原則としてアクセント記号を付けた。ただし人名・書名には付けない。
凡例2

参考文献の番号は、各章ごとに1から始まる。
参考文献ローマ数字 [アラビア数字] と表記される場合、たとえば V[3] は 第V章の参考文献[3] を意味する。

凡例3 引用文の中の角括弧[ ]内は、すべて拙論の筆者による註釈である。
凡例4 ボルシチの食材となるビートは「料理用ビート」に、砂糖の原料となるビートは「サトウダイコン」に、それぞれの名称を統一した。詳しくは拙論37頁(第W章の始め)を参照されたい。
凡例5 参考文献のうち、ロシア語・英語などの洋書の出版社名は省略した。ただし類似書と区別するために必要な場合は、出版社名に下線を付けて表記した。
凡例6 参考文献の版数・刷数は原則として省略した。ただし必要に応じて表記した場合もある。

 


   第T章 はじめに

 

  凡例
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  参考文献

 

 ユネスコの無形文化遺産に登録された борщ(ボルシチ )は、пирожки(ピロシキ)、блины(ブリヌイ)、 икра(イクラ)などとともに、ロシア語から日本語(外来語)になった食べ物の名称である。実際の発音はカタカナ表記で борщ[ボールに近い。語末の Щ は元来 Ш と Т を合成した文字で、旧い名称は〈шта〉、現在の名称は〈ща〉。似て非なる別の文字 Ш発音記号[∫]カタカナ表記])との混同を避けるために、露和辞典では Щ[∫’∫’]シシと表記することがある。料理名 борщ の場合は、文字 Щ[シシ]シチと呼び慣らすのが日本では定着している(固有名詞の場合も同じ、例:Щедрин シチェドリーン)。後述のように、ロシアの伝統的なキャベツの汁物 щи(シチー)は、もともと шти の綴りで古文書に登場し、それが現在の щи になったこと(拙論19頁〔追記1〕参照)、および борщ(ハナウド)から作った борщевые щи (ハナウドのシチー)が現在の борщ(ボルシチ)になったとの語源説を考慮すれば、料理名 борщ[ボールを「ボルシチ」と表記するのは、いくぶん理にかなっていると言えよう。

ロシアの古文書には、次のようなスープの名称が出てくる:「シチー」、「キャベツのシチー」、「ハナウドのシチー」「カブのシチー」。これらの名称は、シチーの種類がいかに豊富であったかを物語っている。その後[若干の例外を除き]、キャベツで作ったスープだけを「シチー」と呼ぶようになった。[1] 50頁)

 各種文献によれば、ボルシチはウクライナ語 борщ からロシア語 борщ(綴りは同じ)に伝わった言葉で、両者のうちいずれかを経由して世界中の言語に広まったとされる。ちなみにスラヴ語派のベラルーシ(白ロシア)語では боршч、ゲルマン語派の英語では borscht(または borsch のほか、別の綴りもある)
 さてボルシチの起源を巡っては、この料理名がポーランド語からウクライナ語に借用されたとする説は否定され(1)、いまではウクライナを発祥地と見なす説が最も有力である。したがってボルシチはロシア料理として広まった経緯により、ロシアの伝統的なスープだと誤解されているが、本来はウクライナ起源の郷土料理であり、ロシア料理とは言えない(2)、との見方もある。ロシアの料理研究家 В.В. Похлёбкин は、その著作[2][3]の中でボルシチを一貫してウクライナ料理に分類し、ロシア料理の範疇には入れていない(3)。またベラルーシで出版された『ソ連の諸民族料理』[4]にも、ボルシチはロシア料理に一切含まれず、ウクライナ料理として19のレシピが載っている(4)。いっぽうロシアの中高生用の教科書『調理基礎』には、「ボルシチはウクライナの民族料理であり、ロシア料理の中にも広く行き渡った」[5] 50頁)との記述がある。ボルシチのレシピだけを集めた小冊子の一節:「ボルシチはウクライナ料理と正当に認められる、それがずっと前に民族料理の枠を超えたとしても」[6] 3頁)。たとえロシア料理の中にボルシチが取り込まれ、シチー(キャベツの汁物)に劣らぬほど人気の高い国民食となったとはいえ、その起源を辿たどればウクライナに行き着くのは必然であろう。
 同じような本家争い(?)の例としては、フランス料理の「クレープ」とロシア料理の「ブリヌイ」や、中国料理の「水餃子」とロシア料理の「ペリメニ」ではどちらが古いのか、あるいは蒸留酒「ウォッカ」や木炭式湯沸かし器「サモワール」の発祥地はどこなのか、などを巡る議論が挙げられる。またビートの煮込み料理はすでに古代ローマで、さらに遡って古代メソポタミアで作られていたという説も存在する。

一般的にはブリヌイはクレープよりも、水餃子はペリメニよりも古くから存在し、ウォッカとサモワールはロシアで初めて作られたとされている。ただしサモワールの起源については諸説あり。
古代ローマ説:拙論37頁以下、古代メソポタミア説:拙論45頁参照。

 

 さて、現在のかたちのボルシチは、西洋松露トリュフのような高級珍味ではなく、どこでも手に入り、家庭菜園でも育てやすいビートを主要食材としているため、「きわめて庶民的な料理」[7] 138頁)と言われている。その調理法も、固守すべき絶対的な統一基準はなく、自由にアレンジしやすいのが特徴で、「具の種類や量は場合によって変わる」。ビートの「ほかにもさまざまな野菜を入れるが、分量は一定していない」(同 138頁)。言い換えれば、新しい食材との出会いが、新しいボルシチを生み出すきっかけとなる。このことは、ボルシチが庶民的な料理として世界中に広まった大きな要因のひとつである。
 したがって、ウクライナからロシアに伝わる過程において、@ ボルシチはすでにロシアの国民食として全国に広まり、各地方にはそれぞれの地域食材(例:ニシン、ナマコ、昆布)(5)を生かしたアレンジレシピが根付いていること、A 東スラヴ人の国家としてのキエフ・ルーシ(9世紀末〜13世紀半ば)が現在のウクライナを中心に、ロシアとベラルーシなどの地域も含めて存在したこと(6)B ウクライナは旧ロシア帝国に組み込まれ、旧ソ連を構成する15共和国のひとつでもあったこと、C 同じ東スラヴ系の民族として、ロシア人とウクライナ人は近縁関係にあり、言葉のうえでもウクライナではロシア語が日常的に話されている(7)こと、等々の理由により、ボルシチをロシアの郷土料理から切り離すことは、もはや不可能である。またボルシチが世界中に広まった過程において、ウクライナ系はもとより、ロシア系の移民が果たした役割も決して無視できない。

ボルシチ〔中略〕フランスでは、1920年代のロシア人移民の流入とともに、大々的に広まった」[7] 138頁)
ボルシチ〔中略〕ロシア皇帝の料理人であったカレムがフランスに紹介し、1918年のロシア革命以後にロシア人亡命者がパリを中心に増加したため、フランスでよく見かけるようになった」[8] 626頁)

日本におけるロシア料理とボルシチの事始め:青木ゆり子の著作[9] 100−118頁「ロシア正教とともに函館に伝わった『洋食』ロシア料理」)参照。
ある絵本の一節:「日本ではロシア料理として知られているボルシチの起源は、ロシアではなくウクライナだが、ロシアから日本に伝わってきた。ウクライナのボルシチ(→p5)は、『ビーツ』という赤いサトウダイコンの一種が多めに使われているため、あざやかな赤い色をしている」[10] 21頁)。後述のように、世界中に広まったボルシチの主要食材は料理用ビートであって、サトウダイコンではない(拙論38頁「フツル風白いボルシチ」は例外で、一部の地域に限られる)

 

 現代ロシアの大学教科書『ロシア料理の歴史』[11] 52頁)には、ボルシチをウクライナ起源と認めたうえで、キエフ・ルーシはロシア文化の母なる故郷ふるさとであり、ボルシチがウクライナとロシアのどちらの料理なのかを論じることは意味がない、と述べられている(8)。この主張を言い換えれば、キエフ・ルーシは現在のウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人共通の「母国」であり、これら三民族に分かれる以前のキエフ・ルーシ時代において、ボルシチをどれか特定のひとつの民族に帰属させることはできない、ということであろう。しかしそれはまた同時に、キエフ・ルーシ時代の全期間を通して、その広大な領土の南部を占めていた現在のウクライナで、ボルシチの原型らしきものが生まれた可能性が極めて高いことを否定する根拠とはなり得ない。したがってボルシチはウクライナ料理であるとの主張には正当な理由がある。ただしこの文脈における「ウクライナ料理」とは、「ウクライナの領域で出現した料理」を意味する。それが個々の民族特有の食文化として形成され、発展してゆくためには、さらに多くの歳月とさまざまな要因とが積み重なる必要があったことは言うまでもない。
 ウクライナのハルキウ(旧ハリコフ)で出版された2冊の料理書より、その序論の一部を紹介する。以下の引用文は、主に『ウクライナ料理』[12] 1994年)に基づくものだが、それを別の料理書[13] 2013年、書名は同じ)がほぼ踏襲している。

ウクライナ民族料理が成立したのはかなり遅く、およそ18世紀初めから半ばにかけて、最終的には19世紀初めであった。それまでは[ウクライナ人と]近縁のポーランドやベラルーシの料理と区別することは殆どできなかった。なぜならウクライナ民族およびウクライナ国家の形成が、長きにわたり複雑な過程を経てきたからである。キエフ・ルーシに対するモンゴル襲来のあと、ウクライナは、リトアニア、ハンガリー、ポーランドの封建国家の侵略を受けてきた。その結果、[ウクライナ]領土の各地域はさまざまな国の版図に組み込まれた。〔中略〕ウクライナ料理が実際に形成され始めたのは、17世紀からである。ウクライナの個々の領土は長いあいだ分断されていたため、ウクライナ共通の料理(общеукраинская кухня)は極めてゆっくりと、ウクライナ民族が団結したあとに形作られるようになった。[12] 6頁、[13] 3頁)

上記の三民族が分化した時期は、いわゆる「通説」に従った。拙論71頁 註(8)参照。
現在の都市名としての「キエフ」は「キーウ」に変更された。ただし国家名としての「キエフ・ルーシ」は、@ 歴史上の名称であること、A「キーウ」は現代ウクライナ語の発音に基づく表記であって、キエフ・ルーシ時代にはどのように発音されていたのか、推測はできても断定はできないこと、B 三民族共通の母国の名称であるゆえに、ウクライナだけの言語事情によって表記を変えるわけにはゆかないこと、以上3つの理由により、拙論では現在の都市名は「キーウ」に変更し、国家名「キエフ・ルーシ」はそのまま使用する(9)

 

 これに対してロシア料理と称されるものは、ウクライナ料理と比べてずっと早い時期に、たとえばイワン雷帝の時代(16世紀)に成立していたのであろうか? 少なくとも記録に残っている具体的な食材と調理法に関して言えば、拙論の第Y章で触れるように、ロシアで初めて料理書が出版されたのは、ようやく18世紀末になってからであり、それ以前のロシア料理の歴史を研究するための一次史料は極めて少ない(フランスでは中世に料理の手稿本が出回り、15世紀半ば以降、活版印刷の発明によって数多くの料理書が現れた)。したがってキエフ・ルーシからロマノフ王朝に至るまでのロシア社会で、国民の大半を占める農民の食事や、贅沢な宮廷料理の品目については、当時の文献・考古資料などに基づいて列挙することは可能だが、正確に復元できるほど詳細な調理法は分かっていないのが実状であろう(いわゆる古代食の再現がいかに難しいかについては、拙論の第W章を参照されたい)
 拙論の筆者は、ボルシチは現在のウクライナでその原型らしきものが生まれ、それがビート栽培の普及につれて、ウクライナ人を始めとする東欧諸民族によってさまざまな郷土料理に変化しつつ、各々おのおのの地名や形容句を冠した「○○まるまる風ボルシチ」と呼ばれるものが形成され、さらに移民や旅行者などによって世界中に広まったとの見解に立つものである。したがってボルシチはウクライナとロシアのどちらの料理なのか、と二者択一的に問われれば、@ ボルシチはウクライナ発祥の料理であり、A それがウクライナ起源のロシア料理となって、B さらに現在のような世界各地の食材に適合した、いわばコスモポリタニズム的な料理、すなわち特定の国家や民族にとらわれない料理に進化した、と総括することができよう。
 ここに提供する拙論は、筆者の紀要論文「ロシア料理ボルシチの起源と調理法 (1)(2)(3)(4)(「初出一覧」参照)をもとに書き改めたものである。当初「ロシア料理」に限定したのは、拙論が主にロシア食文化史の流れに沿って、ボルシチの出現過程を見極めようとしたからであり、それは今回の改訂版でも変わっていない。当然ながら、その論述の多くはロシア語文献・資料に基づいており、それが拙論の守備範囲を示すとともに、いわば限界(視野の狭さ)ともなっている。
 今後、ボルシチの発祥地とされるウクライナにおいて、またボルシチが国民食となっているロシアにおいて、それぞれ個別に、あるいは両国が一致協力して、あるいは広く世界各国の共同プロジェクトとして、その起源を探る学術的かつ多角的な調査が始められることを期待したい。料理は平和をもたらす使者であり、料理に国境はない(10)、と信じるからである。

プーシキン記念ロシア語大学編『ロシア 言語学的地域研究大事典』[14] モスクワ 2007年)より、「ボルシチ」の項目を引用する。この事典の編纂者は、ロシアの生活様式・歴史・文化・自然などのレアリアを知るためのキーワード約2000を選び出し、それらのうち半分の約1000を立項している(見出し語のあとの解説の中ですべてのキーワードは太字で、さらに立項されたキーワードは太字と星印で示す。ただし初出の場合に限る)
同上書の内容はインターネットでも閲覧できるが、同上大学公式サイト内のWebテキストは改訂されている[14] URL参照)。以下、紙媒体の初版[14] のテキストを掲げる:

 

ボルシチ 熱い液状の料理、ビート*と他の野菜から作られたスープ。
ウクライナとロシアの伝統的な料理[下線部「ウクライナと」は大学公式サイト内のWebテキストでは削除された]。シチーシチー*を見よ)とともに、最も普及したスープのひとつ。ボルシチがなければ、ロシアのレストランと食堂のメニューは成り立たない。
ボルシチは、肉、ときにはキノコキノコ*を見よ)のブイヨンで煮込む。ウクライナ風ボルシチには特別なビート製クワス*とトマトを加える。ボルシチを作る基本的な野菜はビートである。ビートはボルシチに独特の風味と赤色をもたらす。そのほか、ボルシチには、タマネギ*ニンジン*、トマト、ピーマン、キャベツ*ジャガイモ*、ときおりインゲンを入れる。すべての野菜は細かく刻み、油または溶かした豚脂を注いだ鍋で蒸し煮する。ボルシチにはニンニク、ディル、パセリ、その他の香味野菜、さらに黒胡椒やローリエを加える。すでに仕上がって食卓に出されたボルシチには、サワークリームを入れる。ウクライナ風ボルシチには、ニンニクとともにすり潰した豚脂を入れて[味を調え]、パンプーシキ[ちぎりパンの一種]と呼ばれる、ふっくらした小さな丸パン[の上部にすり下ろしたニンニクを塗り、それ]を添えて出す。[14] 70−71頁)
同上書「ビート」の項目の一節:「ビートから、他の野菜も加えて、ロシアとウクライナ料理の伝統的なスープであるボルシチが作られる」。[この箇所の「ウクライナ」は大学公式サイト内のWebテキストでも削除されていない][14] 500頁)

     〔第T章 註〕 参考文献 戻る

(1) 参考文献[15] 80頁、[16] 58頁)の記述に基づく。
(2) 「日本ではロシア料理だと誤解されているのが、ボルシチ борщ。実はウクライナの伝統料理であり、ウクライナに来るロシア人の多くが本場のボルシチを食べるのを楽しみにしている」[17](a) 229頁)
(3) たとえば В.В. Похлёбкин の没後、著作11点を収めた1巻本[2] モスクワ、2022年)の中で、ある著作の第3章「ロシア・ソビエト料理」(同 430−498頁)にはボルシチの記述は一切なく、第4章「ウクライナ料理」には詳しい説明がある。また同上書所収の事典の項目「ボルシチ」は、次のような定義で始まる:「ボルシチ ウクライナ料理の基本的なスープ。国際的に広く行き渡り、好評を得ている」(同 794頁)。なお、上記の第3章「ロシア・ソビエト料理」は、『ロシア料理』の書名で単行本化された[3]。当然ながらボルシチのレシピは載っていない。
(4) 同上書にはベラルーシ風ボルシチのレシピがひとつ[4] 66頁)、またリトアニア風ボルシチのレシピが2つ(同 147−148頁、温製と冷製)収められた。
(5) ベラルーシで出版されたスープの料理書には、バルト海沿岸・ロシア極東などの地域特産の魚介類や海藻を用いたボルシチのレシピが載っている[18] 86−92頁)。例:борщ с салакой(バルト海ニシン入りボルシチ)、борщ с трепангами (ナマコ入りボルシチ)、борщ холодный с морским гребешком(帆立貝入り冷たいボルシチ)、борщ с морской капустой(昆布入りボルシチ)
(6) これを根拠として、ボルシチの発祥地を「ウクライナとロシア南部」とする説もある[19] 104頁)。拙論61頁参照。
(7)

平野高志によれば、「ウクライナでは、民族言語であるウクライナ語と歴史的経緯から普及したロシア語が幅広く使われている」[20] 132頁)。同上書132−135頁には、「ウクライナ語とロシア語 並存する2つの異なる言語」と題する興味深い解説がある。また中澤英彦によれば、ウクライナ語とロシア語の混交語(суржик スールジク)も存在するという[17](b) 104頁)。在日ウクライナ人 ユリヤ・ジャブコは、スールジクの特徴を次のように述べている:「語彙の大部分はロシア語からきており、文法と発音はウクライナ語からきているようなもの」[21] 86頁)。その話者の割合は、本国におけるウクライナ人の「およそ10%」(同 87頁)
ウクライナ生まれでイギリス在住のオリア・ハーキュリーズのウクライナ料理書[22]には、ウクライナ語ではなくロシア語で書かれたレシピ本の写真が載っている(同 322頁)。このことが図らずも示すように、ウクライナ語とロシア語=並存する2つの異なる言語[20] 132頁)は、いわば不即不離の関係にあるのだろうか。
しかしながらウクライナでは「現在まで大衆メディアを支配してきたのはロシア語」であったが、2014年に「ロシアによる一方的なクリミア併合があり、ウクライナ東部での戦闘が始まった」[23] 47頁)。さらに2022年2月以降、ロシアによるウクライナ侵略を受けて、ウクライナ国内の言語事情は急速に変化しつつある。渡部直也の著作[24]第5章「ウクライナ語とロシア語のはざまで―ウクライナの言語模様」(同 83−101頁)には、もともと共存していた2つの言語の関係が悪化して、戦争によるロシア語離れ(ロシア語からウクライナ語への切り替え)の現象が広く起きていること、それに伴って「より複雑な言語状況になると予想され」る(同 100頁)ことなどが、統計資料をもとに詳しく述べられている。

(8) この記述のうち、「ボルシチがウクライナとロシアのどちらの料理なのかを論じることは意味がない」との一節は、Н.И. Ковалёв 他『ロシア料理』(共著 [25] 209頁、以下Ковалёв 他と記す)の該当箇所をそのまま引用したものである。
(9)

キエフ(キーウ)の表記について、小山 哲は次のように述べている:「本書でも一部、『キエフ=ルーシ』や帝政ロシアの『キエフ大学』など、歴史上の概念や名称として使われている場合には、ウクライナ語表記の都市名『キーウ』にしたがわなかった箇所があります」[26] 201頁)
「キーウ・ルーシ」と表記する歴史書の例:「『キーウ・ルーシ』という言葉は、コンスタンティノープルを指す『ビザンティウム』と同様に、のちの時代につくられたもので、当時そこに暮らしていた人々は使っていなかった。『キーウ・ルーシ』と言い出したのは十九世紀の学者である。今日、この名称は十世紀からモンゴル襲来で崩壊した十三世紀半ばまで存在した、キーウに都を置く政体を指して使われる」[27] 87頁)。同上書によれば、「キーウ・ルーシ」は「十世紀から〔中略〕十三世紀半ばまで存在した」。

(10)

「『国民食』と呼ばれる料理があります。〔中略〕ヨーロッパでローマ帝国が分裂して主権国家が現れたころ、国としての存在証明を確立するため、また競合国との差別化のために国民食を開発したのが始まりとされ、自然発生的な郷土料理よりも政治的な意味合いが強いように思います。〔中略〕国境は人間が引いたものであり、料理は平和の象徴であってほしいものなのですが」[28] 167頁)
「ヨーロッパ各地に見られる固有の料理には、〔中略〕他者との違いをはっきりさせ、地域意識やナショナリズムの動きと連動したものが多い」[29] 201頁)。しかしそのいっぽう、本当にうまい料理は、起源や国籍にとらわれることなく、「味が国境を越えている」[30] 39頁)と言うこともできよう。「旨い料理は、国籍を持たない」―「ただ、旨いという事実だけが、そこにある」(同 39頁)
ボルシチが世界中に広まったのは、ただそれが本当においしい料理だからであって、特定の民族料理だからではない。

 

     〔第T章 参考文献〕  戻る

[1] Рыкова Е.В. Кулинарное искусство России. М., 2010.
[2] Похлёбкин В.В. Большая кулинарная книга. М., 2022.〔ЛитРес 電子書籍〕
[3] Похлёбкин В.В. Русская кухня. М., 2017.
[4] Кухня народов СССР / Сост. Т.В. Реутович. Минск, 1983.
[5] Ермакова В.И. Основы кулинарии. Учебник для 8−11 классов общеобразовательных учреждений. М., 2000.
[6] Борщи / Сост. В.М. Рошаль. М.−СПб., 2001.
[7] 『新ラルース料理大事典』第1巻、辻調理師専門学校・辻静雄料理教育研究所 訳(同朋舎、1999年)。
[8] 日仏料理協会編『フランス 食の事典』(白水社、2000年)。
☞ 同上書[8]には、普及版(白水社、2007年)もある。
[9] 青木ゆり子『日本の洋食 ―洋食から紐解く日本の歴史と文化―』(ミネルヴァ書房、2018年)シリーズ・ニッポン再発見
[10] 稲葉茂勝『狙われた国と地域1 ウクライナ』(あすなろ書房、2023年)。
[11] Щербакова Е.И., Корнилова О.В. История русской кухни. Учебное пособие. Ч. 1. Челябинск, 2010.
[12] Украинская кухня. Харьков: Каравелла: Лианда, 1994.
[13] Альхабаш Е.А. Украинская кухня. Харьков, 2013.
[14]

Россия. Большой лингвострановедческий словарь. М., 2007.
☞ 筆者は同上書[14]の原本から直接引用した。
〔電子版〕「ボルシチ」解説文「ウクライナと」削除(プーシキン記念ロシア語大学 公式サイト、参照:2025.6.1)
https://ls.pushkininstitute.ru/lsslovar/?title=%D0%91%D0%BE%D1%80%D1%89/C1-C2
〔電子版〕「ボルシチ」解説文「ウクライナと」非削除(Словари онлайн サイト、参照:同上)
https://rus-lingvostranovedcheskiy-dict.slovaronline.com/58-%D0%91%D0%9E%D0%A0%D0%A9

[15] Ковалёв Н.И. Рассказы о русской кухне. О блюдах, их истории, названиях и пользе, ими приносимой, а также об утвари, посуде и обычаях стола. М.: Экономика, 1984.
[16]

〔前掲書[15]とは別の出版社による再版〕ただし堅表紙からソフトカバーに変わり、イラスト・写真などの図版も大幅に差し替えられた
Ковалёв Н.И. Рассказы о русской кухне. О блюдах, их истории, названиях и пользе, ими приносимой, а также об утвари, посуде и обычаях стола. М.: Исида, 1992.

[17]

服部倫卓・原田義也編『ウクライナを知るための65章』(明石書店、2018年)エリア・スタディーズ
(a) 第39章「ウクライナ料理へのいざない ―ボルシチはロシア料理にあらず―」(オリガ・ホメンコ 執筆)。
(b) 第17章「ウクライナ語、ロシア語、スールジク ―進展するウクライナ語の国語化―」(中澤英彦 執筆)。

[18] Классические первые блюда / Сост. С.Р. Коробач, Л.А. Ивлева. Минск., 2006.
[19] Меджитова Э.Д. Русская кухня. М., 2001.
[20] 平野高志『ウクライナ・ファンブック 東スラヴの源泉・中東欧の穴場国』(パブリブ、2022年)ニッチジャーニー
[21] ユリヤ・ジャブコ『日本が知らないウクライナ ―歴史からひもとくアイデンティティ―』(大学教育出版、2023年)。
[22] オリア・ハーキュリーズ『summerサマー kitchens キッチン 故郷ウクライナ追憶のレシピ』(誠文堂新光社、2023年)。
[23]

沼野充義・沼野恭子・坂上陽子編『ロシアの暮らしと文化を知るための60章』(明石書店、2024年)エリア・スタディーズ
(a) コラム1「ウクライナとロシア―ウクライナ語とロシア語」(原 真咲 執筆)。
(b) 第55章「ボルシチとその他のスープ ―スプーンが倒れないほど具だくさん!」(沼野恭子 執筆)。

[24] 渡部直也『ウクライナ・ロシアの源流 〜スラヴ語の世界〜』(教養検定会議、2024年)リベラルアーツコトバ双書
[25] Ковалёв Н.И., Куткина М.Н., Карцева Н.Я. Русская кухня. Учебное пособие. М., 2000.
[26] 小山 哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社、2022年)。
[27] セルヒー・プロヒー『ウクライナ全史(上)―ゲート・オブ・ヨーロッパ』鶴見太郎監訳・桃井緑美子訳(明石書店、2024年)。
[28] 青木ゆり子『見て、読んで楽しむ 世界の料理365日』(自由国民社、2024年)。
[29] 加賀美雅弘『食で読み解くヨーロッパ ―地理研究の現場から―』(朝倉書店、2023年)。
[30]

秋元 康『世の中にこんな旨いものがあったのか?』(小学館、2005年)小学館文庫
☞ 同上書[30]には、単行本(扶桑社、2002年)もある。

 

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